榊原 茂典  長崎本線・佐世保線・松浦線
山と海岸線の織りなす風景が美しい西九州の思い出です


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Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
夕日を浴びて急勾配を登ってくるD51の牽引する貨物列車。遠くに見える頂は長崎の象徴稲佐山の北に位置する岩屋山。



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Jul'67 長崎本線 喜々津・東園間
初めての九州撮影旅行は長崎本線から始まった。
買いたてのペンタックスを携え九州に入った翌日、夜行列車を降り初めて九州でシャッターを切った写真。景色が綺麗なことは分かっていて一度は来てみたかった区間だったが、土地勘が無くどこで撮ったら良いか分からないまま闇雲に歩いて、前夜からの雨にしとどにぬれる藪をかき分けかき分けトンネルの上に出た。半身びしょ濡れとなったが、想像したとおり緑に満ちて山、線路、海と三拍子そろった長崎本線らしい光景が眼前に広がっていた。折しもクリームと朱色に塗られた気動車323Dがトンネルを飛び出して軽やかに接近してきた。緑と気動車の色のコントラストが目に焼き付いた。



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Jul'67 長崎本線 喜々津・東園間
藪をかき分け、きつい斜面を滑り降りて、やっとのことで線路までたどり着いたが今度は恐怖のトンネルが待っていた。怖い思いをして暗闇を抜け、続いて小さなトンネルを抜けると東園だった。こんな駅ができていることを現地に行くまで知らなかった。丁度そこへC57に牽かれた各停821レが絶気でやってきた。右隅に写っているのが東園の場内信号機。この列車は当然のことのように駅を通過していった。


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Jul'67 長崎本線 東園
半身びしょ濡れとなりながら、たどり着いた東園駅に雨宿りさせていただいた。この駅は半年前までは信号場だった。立派なホームが出来ているが殆どの列車が通過する。しばらくすると雨もやっと小降りとなりキハ82系特急が軽やかに接近してきた。トレーンマークがこの写真ではよく分からないのだが、なんと特急「みどり」。はて、なんで佐世保スジの「みどり」がここを通ったのか、その事情も古い昔のことで思い出せない。それにしても気付かなかったが、このころから長崎本線では一線スルー運転をしていたようだ。



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Jul'67 長崎本線 東園・大草間
雨はようやく上がり空が少し明るくなってきて、長崎本線らしい光景を遠望することが出来るようになった。その中を各停の気動車327Dが長崎に向かって走り抜けていく。それにしてもこの編成は豪華である。よく見るとキハ17を始め様々な形式が混結されている。行く手には大村湾を挟んでうっすらと西彼杵半島が望まれる。


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Jul'67 長崎本線 東園
下り各停気動車の行った後、今度はD51の牽く貨物列車がそれを追って到着し、発車した。
実はこの列車冷蔵車だけの編成だった。長崎に魚類でも積み込みに行くのであろうか。


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Jul'67 長崎本線 東園・大草
東園駅を後にして、駅からやっと見つけた撮影ポイント(当時は殆ど撮影地情報が無かった)の大カーブに向い歩き出した。対岸のカーブを見下ろせるポジションが良いと思い、そこを目指して、本来なら遠回りして部落の中を通るべきなのだが、線路を歩かせてもらった。
朝は長崎に向かう列車が多い。続いてやって来たのは佐世保発の各停825D。この列車には何と一等車が組み込まれている。さらに先頭には島原鉄道の気動車が併結されていた。
余談だが全国版のJTB時刻表にその情報は載っておらず、中国・九州編には載っていたことを思い出す。



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Jul'67 長崎本線 東園・大草
撮影ポイントによじ登った。そこには長崎本線のイメージにぴったりの光景が、目の前に大きく広がっていた。やっと見つけた。やはり想像していたとおりだったと内心嬉しかった。雨上がりで光線の無いのが少し残念だったが、そこへ長崎8:55発の302D多階建て急行「九重」がやってきた。ところがこの編成、何と佐世保行きも組み込まれており11両のフルキャスト。先刻の特急「みどり」といい、前日来の大雨の余波で、長崎に待避していたのだろうか。


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Jul'67 長崎本線 東園・大草
続いて長崎本線のクイーン長崎9:40発2004D京都行きキハ82系特急「かもめ」が軽やかな走りで姿を現した。キハ82系は当時その完璧と言って良いほどバランスのとれた前面形状と編成美でファンを魅了した。太陽の光が差していないのが残念ではあったが、大村湾沿いを駆け抜けていく美しい編成をうっとりと見送った。
蒸機牽引時代からの伝統を誇る名称を引き継いだこの列車は一等車を含め全車指定席で、食堂車を組みこんだ西鹿児島からの編成を鳥栖で併結し、山陽路を電車特急に負けじと快走して、京都着は22:09。



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Jul'67 長崎本線 東園・大草
雨が完全に上がりようやく少し明るくなってきた。小舟が入り江に入ってきた時、頃合いを見計らうようにDD51に牽引された下りの急行31レ「雲仙」が姿を現した。忘れもしないこの撮影旅行は東京発10:30のこの列車で始まったのだ。この急行は丸一日かかって終着の長崎に到着する。今思えばずいぶんゆったりした旅だが、これが当時の常識だった。無煙化を急いだ長崎本線ではすでに定期の優等列車が全てDL化されており残念ではあったが、肥前山口で佐世保行きを切り離し7両と短い編成になったものの、食堂車を二両目、一等車を三両目に連結したこの列車は長距離列車急行の貫禄を最後まで感じさせた。



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Jul'67 長崎本線 喜々津・東園
雨はすっかりあがった。あっという間に晴天となって強い九州の日差しが降り注ぎ始めた。東園へ戻って特急「さくら」を撮るために334Dで喜々津へ戻る。目指すは広田尚敬氏の写真で見た撮影ポイントだ。喜々津駅から最初のトンネルまで再び歩き始める。とにかく暑い。1qほど歩きトンネルの手前のミカン畑に登った。1列車「さくら」の通過は12:30過ぎだ。日差しを麦わら帽子で凌ぎながらじっと待ち続ける。握りしめるレンズが焼けてきて火傷しそうなほど熱い。やがて甲高いホイッスルが聞こえてやっと主役が登場。ピントを外さないようファインダーを覗く眼に力が入る。おっと、「さくら」の接近を気付かずその直前を渡る農家の夫婦がいた。危ない!なんとか二人が渡り終えた頃、1列車が高速で迫ってきた。ここだとシャッターを切る。DD51に牽引された1列車は、何事も無かったようにスピードを緩めることもなく、ピッと短笛一声トンネルに飛び込んでいった。
不思議なことにフィルムを見てみるとこの日の撮影はこのシーンで終わっている。余りの暑さに東園へ戻る気力を無くしたのか、初めての長崎本線訪問は半日で終わったようである。


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Jul'67 佐世保線 早岐機関区
「長崎は今日も雨だった」この歌の発売は昭和44年だそうである。この旅行を記した昭和42年の日記を見るとなんと偶然この題名と同じ言葉が書かれていることに驚いた。前日も午後は晴れたが大雨。今朝も雨に祟られれば、ぼやき節も出ようというもの。湿気と暑さでむしむしする大村線経由佐世保行きの830Dに揺られて早岐に向かった。
早岐に着く頃には雨も上がりホッと一安心。
早岐機関区にお邪魔してびっくり仰天。なんとここで会えることはないと思っていたC60がターンテーブルに載っているではないですか。嬉しかった。このC60には後刻お世話になることになる。


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Jul'67 佐世保線 大塔・日宇間
早岐機関区にはもう少し居たかったが、ここまで来たのは特急2001レ「さくら」の本務機となるC11を撮るためである。早々に引き上げて撮影地に向かう。といっても当時は撮影地ガイドのような便利なものがある訳も無い。何も分からないまま同行者のO氏と相談して隣の駅の大塔で撮ることを当てずっぽうで決めた。大塔駅駅に降りたら「さくら」の通過まで20分ぐらいしか無い。慌てて勾配のありそうな日宇側に向けて歩き始める。雨は完全に上がり夏の日差しが降り注いできた。焦るが良いポイントが無い。もうダメだ「さくら」が来てしまう、と腹をくくってポジションを決めた。しばらくして2001レがやってきた。今日の賭はC11にヘッドマークが付いてくるか?だったが、残念ながら外れ。まあ仕方が無い、C11がブルートレーンを牽引する貴重なシーンを撮れたからと自分を納得させた。


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Jul'67 佐世保線 大塔・日宇間
「さくら」は少し期待はずれだったが、がっかりしている暇は無い。直後を209レ京都発の急行「平戸」が追っかけてくる。少しでも良いポジションを見つけようと、焦りながら汗だらだらで日宇方に向けて歩く。これ以上行っても切り通しとトンネルでだめだという限界まで来て209レを待つ。運悪く日が陰り始めた。露出を変更しなくてはならない。と、その時逆行の86を先頭に「平戸」が姿を現した。距離は短いとはいえ豪華編成の現車9両を牽き16.7‰を豪快に駆け上がってくる。ここだと何枚かシャッターを切った。
後補機はC57。脇に大塔駅の遠方信号機が写っている。

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Jul'67 佐世保線 大塔
狙った下り列車は全て通過したので、今度は上り列車を撮影するために佐世保へ移動することにした。大塔駅で列車を待つ間、先ほどの209レの回送が通過していった。前補機として2001レの本務機だったC11が付いてきた。駅員が通票受器の脇に立ち、キャリヤーが投げ込まれるのを待っている


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Jul'67 佐世保線 日宇・佐世保間
大塔から佐世保へ移動した。ここも初めてで勝手が分からない。とにかく歩こうと線路伝いに日宇側へ歩き出す。16:10発の2002レ特急「さくら」の発車まで残り約30分だ。良いポイントが無い。この先は川を渡らなくてはならないというところで、ついにあきらめて2002レを待つ。雲が多く日が陰る。やがて「さくら」が発車した。本務のC11は今回もヘッドマークなし。それでも12.5‰の登り勾配をブラスト高く目一杯の仕事をして通り過ぎていった。編成の先頭には電源車のマヤ20が見え、遠くにはブラケットの上に6機の腕木式信号機が見える。


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Jul'67 佐世保線 日宇・佐世保間 
最後尾では後補機のDD51がうなりを上げて2002レ「さくら」を押し上げていく。このような編成になったのも早岐で列車の向きが変わるためだ。早岐からはこのDD51が先頭に立つ。カラー写真でないのでお分かりにならないと思うが、当時このシーンを撮って不思議に思ったのは、ヘッドマークのさくらの花びらがブルーだったこと。長崎編成と見比べると、あちらはピンクのバックで白の花びらだったから違和感があまりなかったが、こちらは何となくいただけなかった。



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Jul'67 佐世保線 佐世保
夏の九州の日は長い。恨めしかった天気もやっと回復して半逆光の綺麗な西日が構内を明るく照らす。本日最高の条件の下、18時05分210レ急行「平戸」が発車した。後補機はC57。ブラスト高く黒煙が構内を覆う。前後の機関車が偶然同時にドレインを切った。


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Jul'67 佐世保線 佐世保
今日の撮影は終わり。陽はまだ高いがカメラをしまって佐世保駅へとって返す。18時55分発の急行「西海」に乗るためだ。この列車ホームへ出てみたらなんと早岐で見かけたC60が先頭で逆向きに連結されているではないか。ここでC60牽引の列車に乗れるとは幸運だった。
さすがパワーのあるC60、補機なしで早岐へと出発した。5分で早岐に着き停車時間6分の間に切り離し、機回し、再連結が行われ、今度は前向きで堂々と発車。強力なC60のシリンダ牽引力を充分に堪能できた。

結局、この写真で東園から始まった初めての長崎本線、佐世保線の訪問は終わった。

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Feb'68 長崎本線 東園・大草間
昭和42年7月の訪問では天候が優れずすっきりした写真が撮れなかったので、捲土重来を期してと言っては大げさではあるが、長崎本線に再チャレンジを試みた。門司港発の大村線経由421レで6時17分大草駅に降り立つ。今日は嬉しいことに良い天気だ。勇躍東園へ向けて歩き出す。息を弾ませながら前回見つけたポイントへ着き、今回はより高く登って待つことにした。霜が降りていてやたら寒い。待つこと暫しやっと陽が上がってきた。オレンジ色の朝日が明るくカーブを照らす。今日はいけるぞ! 7時過ぎになって前回は上手く撮れなかった2011列車特急「あかつき」が堂々と姿を現した。DD51の朱色の車体とブルーの20系客車の車体が朝日に照り映えた。


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Feb'68 長崎本線 東園・大草間
7時30分過ぎ、この線に残された貴重なC57牽引の佐世保発の821レが、朝日を浴びてカーブを回ってくる。残念ながら絶気運転だった。屋根は真っ白、客車の下からはスチームが漏れる。そう思ってみると民家の屋根に雪が残っている。寒かった訳だ。


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Feb'68 長崎本線 東園・大草間
朝の旅客列車を撮った後は貨物列車だけが狙いとなるが、残念ながらダイヤ情報がない。大カーブから大草駅まで戻る途中、予期せぬ汽笛が聞こえ貨物列車が猛然と駆け登ってきた。身を刺す冷気の中、朝の斜光線が印象的だった。

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Feb'68 長崎本線 大草
大草駅に戻ってきた。この駅は美しい大村湾が見晴らせるだけでなく、地方の小駅に必要な道具立てが全てそろっていて、その佇まいが私にとってすごく懐かしい感じがする。停まっている上り貨物列車は多分各停825Dと行き違うために待機しているものと思われる。驚いたことに825Dはこの駅を通過する。



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Feb'68 長崎本線 大草
朝は綺麗な晴れだったが、ここに来て薄曇りとなってきた。どうも、この線に来ると天気に祟られる。10時少し前、空を見上げていたら31レ急行「雲仙」がゆっくりと到着した。客車からはスチームが漏れているのが見える。この駅で上りの特急「かもめ」と交換である。面白いことに直前の各停気動車は通過したのに、急行といえども停車したからには当駅で客扱いをする。客車列車の持ち味かも知れない。ホームの高さが懐かしい。

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Feb'68 長崎本線 大草
急行「雲仙」を待たせて、長崎本線のクイーン2004D特急「かもめ」が通過する。キハ82系はいつ見てもその均整のとれた前面形状に魅了される。「雲仙」は「かもめ」との交換後10時00分に発車する。

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Feb'68 長崎本線 大草
駅員に見送られ、急行「雲仙」の脇を通過していく「かもめ」。「雲仙」の食堂車オシ17がよく写っている。大草駅の駅舎は通票閉塞時代の面影を残して線路側へ大きく張り出している。

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Feb'68 長崎本線 本川内
当日の日記を読むと、あまりにも寒いため早々に本川内に移動したとある。駅に着くとすぐキハ55を先頭にした312D急行「第1ながさき」がうなりを上げて急勾配の本線を通過していった。この急行は多層階建てで、諫早で加津佐からの島鉄車両を併結し、肥前山口で佐賀線経由熊本行きの「ちくご」を切り離し後、先行させ、佐世保からの「第1弓張」を併結して小倉へ向かう。スィッチバックのホームに停まっているのが乗ってきた329Dである。左手に見える商店の宮島醤油の看板が懐かしい。


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Feb'68 長崎本線 本川内・長与間
天気が悪くなってきたが、とにかく長与まで行こうと歩きだした。途中で20‰を駆け上がってくるD51重連に出会った。


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Feb'68 長崎本線 東園・大草間
長与まで急いで歩き、334Dで東園へとって返す。天気が相変わらず好転しないうちに晴天の下で待ちたかった特急「さくら」がやってきてしまった。この線はどうも運がついていないとは言いつつも、20系の編成8両は美しかった。


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Feb'68 長崎本線 東園・大草間
特急「さくら」の後を追ってD51牽引の貨物列車が姿を現した。この編成はバラエティに富んでいて面白い。緩急車が二両、車掌車が一両、有蓋車、無蓋車、冷蔵車、石炭車、通風車などまぜこぜである。
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Feb'68 長崎本線 喜々津・東園間
東園へ戻り最後の一頑張りをしようとカメラを構える。そこへ331Dがやってきた。この編成もバラエティに富んでいて、手前からキハユニ26、キハ17、キハ28、キハ20、キハ17の豪華版。背景のミカンの山が如何にもこの線らしい雰囲気を醸し出している。


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Feb'68 佐世保線 早岐
東園から838Dで16時11分早岐に着いた。10分後に2002列車「さくら」が来ることは分かっていたが、何しろ駅の外に出てポジションを作る時間がない。もたもたしているうちに「さくら」が接近してきてしまった。慌てて撮った写真がこの一枚である。今見て驚いたことに到着寸前というのに給気している。遅れていたのかも知れない。よく見るとこの駅の構内はシグナルブラケットなどがあり良い雰囲気であった。今思うともっと撮っておけば良かったと残念である。


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Feb'68 佐世保線 武雄・永尾
佐世保に泊まり、翌朝は運良く快晴だった。YHをゆっくり出て佐世保発9時48分の鳥栖行き434Dで永尾へ向かう。 初めての場所なのでよく分からないまま武雄に向かって歩く。途中に良さそうな築堤があったので、向かいの山肌に登り列車の通過を待つ。しばらく待つうち、春の日差しに包まれながら、2001レ「さくら」が坂を駆け登ってきた。


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Feb'68 佐世保線 武雄・永尾
12時直前、「さくら」の後に本命209レ急行「平戸」の登場である。先行の「さくら」は現車7両だったが、こちらは現車10両。C57ではこの約3q続く25‰の坂はきつい。そこで補機が必要となる。見ての通りC11の補機は立派に目一杯の仕事をしているようである。この平戸は2D特急「いそかぜ」との行き違いのため永尾駅に停車する。

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Feb'69 長崎本線 東園・大草
長崎本線は今回で三度目の訪問である。またまた天気に恵まれなかった。本当に運に見放されているとぼやいていたら「かもめ」の先行で佐世保行きの834Dがやってきた。


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Feb'69 長崎本線 東園・大草
東園駅は眺望が素晴らしい。天気は最悪だったが特急「かもめ」は軽やかな走りを見せて近づいてきた。


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Feb'69 長崎本線 東園・大草
天気が悪くて気分が滅入ると言うものの、D51が来れば元気になる。この機関車なんとラストから5番目だと言うことに今気付いた。思えば貴重な記録である。


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Feb'69 長崎本線 大草・本川内
大草を越して場内信号機の見えるところで特急「さくら」を待つ。天気は益々悪くなってきて,対岸が霞み始めた。周囲は懐かしい雰囲気に満ちている。


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Feb'69 長崎本線 大草・本川内
天気は優れず雲は低く、相変わらず寒い。我慢して待つうちに山陰から煙が見えはじめ、やがてD51が姿を現した。煙が大きくたなびき、延々と続く勾配との闘いを予感させる。


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Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
たとえ海の見える良い場所でも、寒くて天気が良くないとくればやる気が失せてくる。そこで峠を越えてみようと大草に戻る。佐世保発の834Dで本川内へ向かう。本川内駅を降り、前回とは逆に大草の方へ戻る。しばらく歩き、見晴らしの良い築堤が見つかったところで2005レ特急「はやぶさ」が坂を駆け下りていった。今日はDD51の重連だった。


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Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
特急「はやぶさ」は2006レとなって長崎を1時間弱で折り返してくる。この折り返し時間では整備が間に合わないと思うので、当時3編成で回していたのかも知れない。急勾配をDD51がうなりを上げ、終着東京を目指すブルートレーンを牽引して通過していった。


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Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
「はやぶさ」通過の後、極短い貨物を牽いてのんびりとD51が登ってきた。天気はどんよりと曇って気が滅入る。元気の良いD51のブラストだけが救いだった。


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Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
続いて2200PSのエグゾーストを高く吹き上げながら2レ「さくら」を姿を現した。この列車の長崎発は15:50である。長い道中の最初の峠を越え、肥前山口で佐世保編成を増結して東京へ向かう。


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    Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
恨めしかった空がやっと少し明るくなってきて、夕日が差しそうな感じがしてきた。と、そこに思いがけない列車が登ってきた。スジから考えると、長崎16:31発の6032レ急行「ながさき」のようであるが、この日に予定はない。それにしても現車12両見事な編成である。

   
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    Feb'69 長崎本線 本川内・長与間
トップの写真の続きである。淡い夕日を受けながらD51がゆっくりと坂を登っていく。そこには長崎という地が願っていただろうと思う平和な時間が流れていた。

思えばこの写真が長崎本線・佐世保線を訪問した最後の写真となった。
結局、夢に見た長崎本線の素晴らしい陽光に溢れた写真を撮ることは叶わなかったが、今でもこの線を歩いたことは懐かしい思い出となって心の中に残っている。




   
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