榊原 茂典     鹿児島本線
     南国の風景の中を行く大型旅客用機関車C60、C61とD51の活躍をご覧ください      
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Mar'68 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
鹿児島湾、別名錦江湾はそれ自体が大きな火山のカルデラであり、その外輪山は火山岩質の脆く険しい断崖で構成されていて天然の要害となっている。そのためこれを克服して勾配に弱い鉄道を建設することにはかなりの困難が伴う。鹿児島本線は極力勾配を避けたいがため、外輪山の狭い亀裂を縫って建設されているので、遠くから蒸気機関車の活躍を見通すことが際めて難しい。五万分の一の地図を片手に何度か挑戦して、遠く錦江湾を望むこの地点を苦労して見つけたときには思わず快哉を叫んでしまった。この地域特有の地形と南国の植生が見事にこの区間の景色を特徴付けており、一生忘れられないシーンの一つである。

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Mar'68 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
外輪山を縫ってC60の牽く客車列車が20‰を駆け下りる。竹林が多いのもこの区間の特徴であった。


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Mar'68 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
足下が脆く崩れそうで心許ない外輪山の山肌に登って待っていたら、C60は全力で延々8qも続く20‰を駆け登っていった。

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Feb'69 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
東北地区と全く違う風景の中を力走するC60。この角度で撮ると原型のC59は均整のとれた機関車であったことに惚れ惚れする。補助前照灯の無いのが嬉しい。

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Feb'69 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
長い貨物を牽いて必死の形相で20‰を登る。投炭が続き排煙が雲龍のごとく渦を巻く。だがこの先のサミットはまだまだだ。

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    Feb'69 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
編成が美しい客車列車を牽いてC60が20‰を登る。背景の山々が如何にも鹿児島近くであることを物語る。

 
   
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Feb'69 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
下部の排気管から勢いよく白い蒸気を吐き出し連続勾配を登る。多量に消費する罐水の補給のために給水温め器が装備されておりこの蒸気はその排気だ。煙突からの排気も真っ白で石炭の燃焼は好調の様だ。

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Mar'68 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
暖かい春の日にC60が軽い客車を牽いて気持ち良さそうに坂を登る。

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 Mar'68 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
D51とC61の重連が力を合わせサミットの饅頭石隧道へ向け最後の頑張りを見せる。夕暮れが迫り露出がギリギリの撮影となった。線路両脇の排水路の豊富な水流がどこか懐かしい。

 
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Mar'68 鹿児島本線 上伊集院・広木信号場
何とか桜島と蒸気機関車が一緒に撮れぬものかと饅頭石隧道の上の山の藪に分け入った。驚いたことにやってきたのは回送を含むD51+D51+C61の三重連だった。 この時桜島は噴煙を上げている。

 
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Feb'69 鹿児島本線 上伊集院
上伊集院の駅を発車した上り列車。後はずっと下り坂が続くのでのんびりした風情。

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Feb'69 鹿児島本線 薩摩松元・上伊集院
上伊集院に向けこちらも20‰の上り坂である。C60の牽く汐留発の荷物列車43レが長かった旅路の最後の勾配を登る。

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Feb'69 鹿児島本線 薩摩松元・上伊集院
この辺り特有の風景である火山性の断崖に囲まれたシラス台地の棚田を見下ろしてC61が走る。遠くに見える道路は未舗装のようだ。

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Feb'69 鹿児島本線 伊集院・薩摩松元
鹿児島は今日も雨だった。C60はドラフト音高く加速していき、窓ガラスを真っ白に曇らせた客車が続く。列車の後ろに見えるのは当時単線区間に残っていた貴重な単灯型色灯場内信号機で多分機械式と思われる。

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Feb'69 鹿児島本線 伊集院
今は亡き、鹿児島交通の気動車が枕崎から伊集院に到着したところ。その目立つ朱色の塗色を今でも思い出す。

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     Feb'69 鹿児島本線 東市来・伊集院間
前夜104D「そてつ2号」で北上し、各停につないで鳥栖で折り返し、101レ「かいもん2号」で早朝の通勤列車を狙うべく伊集院駅に降り立った。冷たい雨に濡れた石段で待つことしばし、D51が山裾を大きく回って18‰を駆け登ってきた。左隅に伊集院の場内信号機が白く二本見えるが、その直前まで勾配が続き、構内に進入するまで加減弁は満開である。

   
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    Mar'68 鹿児島本線 東市来・伊集院
遠くに見える藁葺き屋根と木々の風情がC60の走りに趣を添える。

 
   
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Mar'68 鹿児島本線 東市来・伊集院
何の変哲もない光景だが機関車がC60となれば気分は違ってくる。

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Mar'68 鹿児島本線 東市来・伊集院
上と同じ場所。こう見ると、よく似ているがC60とC61では印象が若干違う。

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Jul'67 鹿児島本線 湯之元
如何にも南国の雰囲気が満ちている駅に。ブレーキを軋ませながらC61ラストナンバー機が進入してくる。郵袋をリアカーに載せた駅員が待つところも懐かしい光景。

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Mar'68 鹿児島本線 市来
夕日に照らされD51とC60の重連旅客列車が到着する。よき時代の見慣れた光景だった。

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Jul'67 鹿児島本線 草道・上川内
当時は情報が無く、どこで撮ったら良いか分からないまま、当てずっぽうで降り立った草道駅から歩くことしばし、早朝の農村風景の中を、下り通勤列車が走り抜けていった。

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Jul'67 鹿児島本線 草道・上川内
瓦屋根がおもしろい模様になっている民家の脇を今度はC61が牽く上り列車が走り抜けていく。草道駅から反対に歩けば後に有名となる薩摩高城に達し、海岸線の良い写真を撮れたのにと、今でも残念である。

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Mar'68 鹿児島本線 折口・阿久根
海岸縁を走る列車を撮りたくて歩いていたら、いきなりD51の貨物がやってきた。

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Mar'68 鹿児島本線 折口・阿久根
当時の気動車特急は花形だった。この「有明」は九州内の特急でありながら食堂車もある豪華版。東シナ海の景色を愛でながら旅をするには最高の列車だった。

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Jul'67 鹿児島本線 袋・米ノ津
真夏の九州は草木が繁茂し左の電柱にも絡みついている。これがなんと電電公社の電話幹線であり、そこに通りかかったC61も幹線の列車である。

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Jul'67 鹿児島本線 袋・米ノ津
瓦屋根、段々畑、深い緑に囲まれる列車。私は日本の原風景であるこのシーンが大好きである。

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Jul'67 鹿児島本線 袋・米ノ津
何の情報も無くひたすら暑い真夏の日差しの中を歩いて汽車を待つ。そこへC60の牽く列車がやってきた。窓は全部開いており如何にも暑そうである。左手は国道3号。交通量もこんなものだった。自動販売機なんか無い。一軒しか見当たらない万屋の店先で、おばさんに売ってもらった水で冷やした清涼飲料水チェリオがやたらに美味かった。

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Jul'67 鹿児島本線 米ノ津・出水
出水に向かって米ノ津を発車した各停。南国の強い日差しにC61が似合う。

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Jul'67 鹿児島本線 袋・米ノ津
夕日を浴びて遠方信号機の下を走り抜ける。この信号機は信号ワイヤの伸びを補償するために二条鉄索式である。

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Jul'67 鹿児島本線 米ノ津
下校時列車から降り立った高校生がホームに溢れる夕暮れの一コマ。彼らももう還暦を迎えた。

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Feb'68 鹿児島本線 上田浦・肥後田浦
鹿児島本線で海岸線が美しいのはここと阿久根近辺である。しかしこの辺りは海岸線に山が迫っており、難所でもある。

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Feb'68 鹿児島本線 上田浦・肥後田浦
鄙びた集落の脇をキハ82系7連の特急「かもめ」がトンネルに飛び込む。タイフォーンが高らかに響き渡る。

 
 
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Feb'68 鹿児島本線 上田浦・肥後田浦
海と松と段々畑とくれば日本の代名詞。そしてD51も。

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Feb'68 鹿児島本線 上田浦・肥後田浦
鹿児島本線にもC57はいた。ここでは美しい海岸線を背に軽やかに走り抜けていった。

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Jul'67 鹿児島本線 八代・肥後高田
この写真は鹿児島本線を初めて撮った時の写真である。早朝しかも雨上がり、悪条件ではあったがなんとかC6112が写ってくれた。緑の田圃に初めて見た九州のC61は力強く美しかった。実は左側には森で隠れて見えないが肥薩線が通っている。遠くに見える遠方信号機が二基あるのは、その理由である。そしてそれも珍しいことに腕木式信号機でありながら、A型電気式という特殊なものであったと記憶している。

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Feb'69 鹿児島本線 鹿児島
冷たい春の小雨に濡れながら発車を待つC61の姿に、今の鉄道が忘れてしまった暖かい人の温もりを感ずる。

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Feb'69 鹿児島本線 鹿児島機関区
雨に濡れるC60。鹿児島特有の砲金製の区名札が輝き、南国の香りが漂う。


  
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