榊原 茂典     函館本線
          晩秋の北の大地に活躍する蒸気機関車達をご覧ください
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Oct.'69 函館本線 小沢・倶知安間
昭和44年、ある理由があって大学が休みとなったため北海道に初めて渡道した。
函館本線のC62はその豪快な走りっぷりが趣味誌に沢山紹介されており、一度は撮ってみたいと思っていたが、何しろ上り下り一本だけであり、天気が悪ければ全てが水泡に帰す。祈るような気持ちで現地へ向かった。
着いてみれば、普段の心がけが良かったのか見事な秋晴れに恵まれた。
待つこと暫し、C62はその期待に違わずジェット機のような連続ブラスト音を轟かせて目の前を通過していった。



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Oct.'69 函館本線 小樽・塩谷間
背後の丘陵に北海道らしい民家が建ち並ぶオタモイ峠への長い坂を猛然と駆け登るC62重連。ジェット機のような連続排気音が周囲に響きわたり、その通過する一瞬は唯々感動的としか言いようが無い。今日は運良く2号機が前補機で来てくれた。ここまでやってきた甲斐があったと嬉しくなった。


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Oct.'69 函館本線 塩谷・蘭島間
一日一回しかない貴重な上りのC62重連をどこで待ち受けるかが最大の課題ではあったが、なにしろ初めての場所で皆目見当が付かない。海の見えるところをということで、塩谷の海岸を山勘で選んでみたが、来てみれば良い足場になるところがなく、辺りをさまよっているうちに、いよいよ通過時刻となってしまった。気ばかり焦り必死で見晴らしのきく場所を探してカメラを構えた途端、ジェット音と共に突然現れたC62重連は眼下を高速で通過していった。



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     Oct.'69 函館本線 小樽・塩谷間
C62重連の後にブラスト高く各停が近づいてくる。凄まじいC62の走りの後ではD51がおとなしく見えるから驚きである。左手に見える丘陵が如何にも北海道らしく感じる。


   
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    Oct'69 函館本線 塩谷・蘭島間
秋の斜光線を受けてD51の上り各停がゆっくりと進む。辺り一面黄色に染まり行く秋を惜しむかのようだ。手前のポプラが道内であることを誰の目にも分からせてくれる。それにしてもこの各停は荷物車を4両も連結していて国鉄が重要な荷物輸送の担い手であったことを物語っている。


   
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 Oct.'69 函館本線 小沢・倶知安間
C62を追いかけて渡道した今回の旅も、いよいよ最後の一日となってしまった。そうなれば多少ありふれてはいても、一度は豪快なC62の走りを撮影名所で捉えてみたいと、倶知安峠へと向かった。峠から少し下ったところに本線をオーバークロスする好適なポジションが見つかったが、ここから撮った写真は沢山発表されている。皆と同じように撮るのでは余りにも能が無いと、背後の山によじ登る。頂上に立つとかなり遠いが大きくカーブする線路を見下ろすことができた。これは200ミリでなければダメだと急いでレンズを交換して通過を待つ。やがてジェット機の様な連続ブラスト音が聞こえてきた。待つこと暫し、必死で覗き込むファインダーの中にC62 が飛び込んできた。前補機は嬉しいことに2番だ。アングルを崩さないよう両手でしっかりとホールドしたペンタックスのシャッターを連続で切る。C62がファインダー視野から消え去った後、やったという手応えと満足感が全身を満たした。


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     Oct'69 函館本線 倶知安
眩しい朝日を浴びる貨物列車とD51。今日も快晴。羊蹄山がその優美な稜線を見せてくれた。


   
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Oct.'69 函館本線 長万部
北海道の秋の日は落ちるのが早い。みるみる周囲の明るさが失われていく。16時20分函館から到着した急行に前補機のC622が連結され発車合図をを待つ。満を持して立ち上る二条の黒煙が強風に煽られて構内を真っ暗に塗りつぶす。本務機の給水が終わり乗客に発車を告げるアナウンスの中、発車合図のブザーが構内に鳴り響く。16時26分103列車ニセコ3号定時発車。野太い二声の汽笛がヴオー、ヴォーと長く構内に轟き渡る。黒煙が噴き上がる。ファインダーの中でじりじりっと前進してくる。ドレインが切られる。ブラストが速くなる。まさに感動の一瞬。シャッターを押す指が震える。C62もこれで見納めだ。このシーンを絶対に逃す訳にはいかない。必死でフィルムを巻き上げ連写を続ける。この時のことを43年後の今でも昨日のことのように思い出す。


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Oct'69 函館本線 渡島砂原・鹿部
夜が明けてみるとどんよりと曇った朝だった。周囲に動くものとて見当たらない荒涼とした海岸線の静寂をD51が突然破る。こういうときは機関車の温もりだけが唯一の救いだった。


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     Oct'69 函館本線 渡島砂原・鹿部
荒涼たる風景の中に、人知が及んでいるものと言えば、一本の線路と通信線ぐらいのものだけしか見当たらない。そんな中を一日に何本も無い海岸線回りの下り旅客列車が通過していった。



   
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     Oct'69 函館本線 五稜郭機関区
せっかく渡道したのだから、当時日本最大の蒸気機関車D52を見ないで帰る手は無い。夕日の五稜郭機関区を訪ねることとした。三両の機関車が並んでいるが、一番奥がお馴染みのD51である。あの大きな機関車が小さく見えるからD52の大きさの程が知れよう。検査係らしき人が梯子に登っているが、その身長と機関車の高さを比較して貰いたい。この方は私と同じくらいの背丈である。ボイラーが長いため、除煙板がずいぶん前へ出ている。炭水車の形も船底型で、運転室がずいぶん小さく見える。そしてC62型も同じであるが、車両寸法が限界ギリギリのため汽笛が後ろに倒れて取り付けられている。子供の頃D51しか見たことの無かった私は、雑誌の写真でこの汽笛の取り付けを見て取り付けかたを誤っているのではないかと思った記憶がある。


   
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     Oct'69 函館本線 函館
黄昏の函館駅を発車した特急「エルム」。函館駅は往きに深夜乗り換えただけで、その全景を目の当たりにするのは今日が初めてだったが、如何にも旅情を感じさせる雰囲気のある駅だった。



   
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     Oct'69 函館本線 大沼・仁山間
函館駅の外れで「エルム」を撮影後、連絡船で帰路につこうと思い、函館駅で乗船名簿を貰おうとして青くなった。何の理由かは忘れたが、急な便の欠航があって当日の乗船名簿が全て配布されてしまっていて駅には一枚も残っていなかった。何とかならないかと交渉するも埒があかず、こんなことなら函館に来る普通列車で配っていた時に貰っておけば良かったと臍をかんだが後の祭りで、二進も三進もいかなくなった。宵の口の便で帰ろうとしていたので、当然宿は予約していない。。悩んだ末、大沼のユースホステルに連絡したら、運良く空きがあり、夕食も用意してくれるという。親切なペアレントに感謝しつつ、慌てて大沼まで戻った。
一夜明けたら翌日は快晴だった。五稜郭で見たD52が最後かと思ったのが、一日帰京は遅れたが、嬉しいことに何ともう一日走っている勇姿を見られることとなったのである。昨日は曇りで見えなかった駒ヶ岳の全景も見事に望め、何とも清々しい気持ちになった。D52は長大な貨物列車を牽引してゆっくりと近づいてきた。雄大な光景にこれぞ北海道という感激が湧いた。


   
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     Oct'69 函館本線 大沼・仁山間
こちらは新しく出来た函館本線の勾配緩和ルートである藤代線を登ってきたD52。雄大な景色と超大型蒸気機関車の組み合わせは、今日帰らなくてはならないことを瞬時忘れさせてくれた。

   
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     Oct'69 函館本線 大沼・大沼公園間
D52に牽引された長大な下り貨物列車が悠然と左へと大きくカーブして、真っ直ぐ森方面に向かう。ここがまさに渡島砂原回りの線との分岐点で、右に伸びているのがその渡島砂原回りの線である。この線を通る殆どの列車が上り列車なので上り線と言っても良いほどだが、一日に何本も無い下り各停列車が通るため、両方向の列車が通る単線扱いとなる。左から渡っている線路が下り列車が渡島回りの線に渡るための渡り線で、私のような鉄道好きにはこういう場所はこたえられない。


   
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     Oct'69 函館本線 大沼
いよいよ青函連絡船に乗らなくてはならない時間が迫ってきた。名残は惜しいが北海道に別れを告げなくてはならない。大沼駅定番の写真で最後を飾ろうと思う。この写真を撮った後、二度とD52という機関車にまみえることは無かった。


   
         
     Oct'69 函館本線 倶知安
あの頃、誰もが一度は挑戦してみたかった倶知安駅の感動的な発車シーン。
雪が積もっている季節ではないので、雪の照り返しが期待できず、本当に写ってくれるか心配だったが、帰ってきて現像したら何とか写っていてくれた。
コダックTRI-Xフィルムは学生にとっては高嶺の花だったが、この時だけは必需品だった。
   
         
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