榊原 茂典     中央西線 木曽中央部
 
  
     中央西線 宮ノ越から上松まで、木曽中央部の四季に活躍する蒸気機関車D51の姿を集めました。


 
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Nov'70 中央西線 薮原・宮ノ越間
さわやかな朝日を浴びて客車列車が行く。

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Nov'68 中央西線 薮原・宮ノ越間
木曽義仲夫人として有名な巴御前ゆかりの淵を渡る。

 
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Nov'68 中央西線 薮原・宮ノ越間
紅葉の山と木曽川を朝の冷気が包む。

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Nov'70 中央西線 薮原・宮ノ越
さあ、トンネルだ。荷物車、郵便車が懐かしい。

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Nov'70 中央西線 薮原・宮ノ越
木曽義仲平氏追討旗揚八幡の鳥居を背に。夕日が列車を照らす。

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Nov'68 中央西線 宮ノ越・原野間
窓から走行写真を撮っていたら、女子学生が顔を覗かせた。

 
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Jan'71 中央西線 木曽福島
汚れて傷んだ壁とDiscoverJapanのポスターが国鉄時代を物語る。

 
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    Feb'70 中央西線 中平信号場・上松間
このネガを見ていて最初どこで撮ったか全く思い出せなかった。よく調べたら手掛かりがあってやっと分かった。この日は小雪混じりでとにかく寒かった。D51は、桟隧道までの直線勾配に力を振り絞って挑んでいる。石炭の減り具合から木曽区の機関車のようだ。あと一息頑張れば辛い仕業から解放される。

   
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Jan'71 中央西線 上松・倉本間
浦島伝説で有名な寝覚ノ床。名所中の名所ではあるが、D51にとっては苦しい坂道の途中。

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     Feb'70 中央西線 上松・倉本
厳しい20‰の連続勾配を、全力を振り絞って登ってくる。荷が重くなかなか近づいて来なかった。

 
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Jan'71 中央西線 上松・倉本間
木曽谷の朝は遅い。やっと陽が差してきたところへ客車列車が通過していった。

 
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May'71 中央西線 原野・木曽福島間
春の雨にしっとり濡れるD51。

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May'71 中央西線 上松・倉本間
雨の木曽路を一歩一歩進む。♪心細いよナンチャラホイ木曽路の旅は・・・・・♪

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 May'71 中央西線 上松・倉本間
春雨の中、黙々と坂を登るD51。木曽の冷たい雨に打たれる後ろ姿に哀愁が漂う。


   
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July'68 中央西線 薮原・宮ノ越間
材木を積んだ貨車が続く。木曽ならではの光景。この時代には煙突に集煙装置が装備されていないD51もいた。

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JUly'68 中央西線 宮ノ越
女性の姿に時代を感じる。御洒落をして名古屋に向かうのか。

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 Aug'69 中央西線 薮原・宮ノ越間
涼しさを呼ぶ木曽川の流れと、静穏な徳音寺の集落を右に見て、D51重連が絶気で駆け下りていく。
中津川出庫時には満載だったテンダーの石炭も、連続勾配の続く木曽谷の往復行路でガラガラに減っている。
木曽谷の険しさが素人目にも明らかだ。

 
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 Aug'69 中央西線 宮ノ越
懐かしい機関車D51122は、私が木曽に居た頃から転籍することなく、中津川機関区に残って最期まで活躍し続けた機関車であった。当時は現在区名札のある辺りに「日立」のメーカープレートが誇らしげに輝いていて、下地がナンバープレート同様に青く塗られていたことを良く覚えている。残念なことに本機を間近で見たのはこれが最後となった。

  
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Aug.'69 中央西線 原野・木曽福島間
木曽の夏は高度が高いせいか、それとも空気が澄んでいて紫外線が強いせいか、やたらに暑い。ここは周囲が開けているので照り返しもすごい。喉もからからだが近くにお店も見当たらない。そんな中を重連の旅客列車が軽やかに駆け下ってきた。懐かしい夏の思い出である。



  
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Aug'69 中央西線 宮ノ越・木曽福島間
むせかえるような夏だった。

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     Aug.'69 中央西線 原野・木曽福島間
この辺りの景色は山が深く木曽川の上流の雰囲気が良く感じられる。登ってくるD51は寒ければかなりの白煙を上げているはずであるが、この暑さではうっすらと見える程度だ。

  
 
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Aug'69 中央西線 原野・木曽福島間
人気のない夏の谷間にD51のドラフトとロッドの音が響く。

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    July'68 中央西線 原野・木曽福島間
木曽福島の街並みを見下ろして貨物列車が下りてきた。右奥に見える私の通っていた福島小学校の木造校舎が偉容を誇る。

 
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     Jul.'68 中央西線 木曽福島
昭和43年に訪れたときの小丸山から見た木曽福島区の全景。
ラウンドハウスが一部取り壊されては居たが、子供の頃の印象は変わっていなかった。
給炭槽が新しく建てられ石炭の積み込みはクローラークレーンの仕事となった。
上り方に向かって機関車が出区していく。あの頃の機関区は何時もどこかが動いていた。
それにしても機関区の全景が見下ろせるところは、全国でも少なかった様に思う

 
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     July'68 中央西線 木曽福島
真夏の焼け付くような暑さの中、下り列車が8両の客車を牽いて発車する。あの頃の旅は暑かったが旅の楽しさがあった。

 
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     Aug'69 中央西線 木曽福島
下り副本線から戦時型の862号機が発車する。プラットフォームでは駅員が後ろからじっと列車の前途を見守っている。
この日はたまたま貨物の荷が無かったので単機回送列車となった。
この機関車は住んで居た時にも木曽福島区に配置されており、何故この機関車だけ形が違うのかと、子供心にも不思議に思った記憶がある。

 
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July'68 中央西線 木曽福島
木曽福島のホームは「木曽踊り」と7月22・23日に行われる水無神社の奇祭「みこし(神輿)まくり」を見に訪れた観光客で賑わう。

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     Aug'69 中央西線 木曽福島
入れ換え作業のために下り副本線を上松方へ移動するC12。
白いシャツの学生達と、遠くの旅行者らしき女性の姿に、ゆったりとしていたあの時代の雰囲気が感じられる。


   
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     July'68 中央西線 木曽福島
夕闇迫る木曽福島上り副本線から発車した貨物列車。構内の灯が沈みゆく光景に彩りを添える夏の夕暮れ。


 
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    Jul'68 中央西線 木曽福島
夜の写真は苦手だった。夜はYHなどの宿に泊まっていることが多く、それが駅から遠いと来ているから撮れるはずが無い。この写真はその数少ない夜景を撮ったもの。水銀灯に照らされD51が静かに佇んでいる。集煙装置がまだ装着されておらず、原型に近い姿が美しい。夏とはいえ木曽の夜は涼しい。炭水車の水槽に水滴が付きその形をくっきりと見せている。なおランボードに白線が入っているのは中央西線では珍しい。


 
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Aug'69 中央西線 木曽福島
3両のD51が集う活気に満ちた往時の構内。昭和42年当時木曽福島区11両、中津川区30両のD51を擁し輸送を担っていた。

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May'71 中央西線 木曽福島
高く黒煙を上げ猛然と鳥居峠まで続く長い上り勾配の行路にスタートを切ったD51重連。18q先の峠を越え終わるまで、途中停車はない。
200番は梅小路蒸気機関車館動態保存機。

 
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July'68 中央西線 木曽福島
当時は単線だったので、遅れていたディーゼル急行の到着を待って重連貨物列車が出発する。遅れを取り戻さんと、吹きあがる黒煙がとぐろを巻く。そして長い貨物の最後尾はなんと踏切に懸かっている。右手の貯木場のクレーンは私が小学生の時に造られたもの。

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     Aug'69 中央西線 中平信号場
列車交換のために停車したD51重連の上り臨時急行列車。この信号場は列車本数の増加に伴って開設されたもので、子供の頃には無かった。撮影時は単線自動閉塞で無人の信号場であったが、何故か左端に通票受器が写っている。


   
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     Aug'69 中央西線 中平信号場・上松間
木曽桟付近の勾配を上る旅客列車。背景は上松町で、右下に見えるのは木曽森林鉄道の鉄橋。
子供の頃にはボールドウィンのタンク機関車がチョコチョコと長い檜を満載した貨車を牽いて渡っていた。
この辺りの車窓からの眺めは楽しく、もう少し行くと木曽谷沿線でただ一カ所の御嶽を望める場所がある。

 
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     July'68 中央西線 上松
木曽福島から上り列車を牽いて到着するD51重連。エアコンプレッサの音がカチャン、カチャン、カチャンと高く響き渡る。
何時も見かけた光景だが、今となっては懐かしいシーン。後方には延々と続く20‰の勾配が遠望できる。

 
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July'68 中央西線 上松
この時代、後ろに機関車が付くことは珍しい。左手の貯木場には山と積まれた檜の材木が出荷を待つ。その奥には木曽森林鉄道の鉄橋があった。

 
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Aug.'70 中央西線 上松・倉本間
鉄橋を渡る音に驚いて観光客が見上げる中、名勝寝覚の床をいく2801D急行赤倉。編成が長く画面に収まりきれない。おまけに多客時で増結もされているようだ。この列車は終着新潟までに三つの難所の峠を越えていく厳しい運用の長距離DC急行だった。


 
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     Jul '68 中央西線 上松・倉本間
同じく、真夏の名勝寝覚の床を行く2801D急行「赤倉」。キハ58系12連がエンジン音も高く連続する20‰の勾配をよじ登っていく。この時代は見ての通り冷房がついておらず、皆涼を取るために窓を開け放っているのがよくわかる。車内では寝覚の床を紹介する車掌のアナウンスが流されて、乗客達が天下の奇景を見ようと立ち上がっているであろう。上松までもう一息である。


 
 
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Aug '55 中央西線 木曽福島
石炭の掻き寄せと給水も終わり、夏の夕日を浴びて名古屋へ向けてまさに発車せんとする準急「しなの」。この写真では良く分からないが当時名古屋機関区所属のD51777のナンバープレートは赤く塗られており、良く見て頂くと運転台のナンバープレートの下に白く「名」と云う所属区名が見える。その上には木曽谷では見かけなかったと思うタブレットキャッチャーが取り付けられている。後に従うスハ43系6連は中央西線の華であり、その最後尾には円形のテールマークが誇らしげに掲げられていたと記憶している。赤ナンバーの777号機は子供だった私の憧れだった。この写真は父親にせがんで撮ってもらったもの。
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Aug'55 中央西線 木曽福島
昭和30年当時の木曽福島機関区には1次型(通称:なめくじ)のD5162が配属されていた。子供心にも他と違うので同じ形式の機関車かと不思議に思えたものである。炭水車の台車が他と違っていたことを良く覚えている。サンドドームが煙突まで繋がっているためか、なんとなく暑苦しい印象があった。当時は給炭塔などはなく、全て人力で石炭を積み込んでいた。手前の二つの塔は給砂塔である。後方は木曽福島駅。この写真は小学校2年生の私が生まれて初めて撮った写真と記憶している。

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     Nov'72 中央西線 宮ノ越・藪原間
晩秋の木曽路をエキゾーストを噴き上げながら181系「しなの」が力走する。
あまりの連続勾配で永く特急設定の出来なかった西線にとっては181系が救世主であり、電化まで奮闘した。


   
         
         
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