榊原 茂典 筑豊本線
スポーク動輪が美しいC55と古豪D50、D60が奮闘した北九州の幹線の記憶です | |||||
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Feb'69 若松機関区 二両のC55が憩う。ゆったりとした時間が流れていた。 |
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Mar'68 筑前山家・筑前内野 春の日を浴びてC55の牽く旅客列車が登ってきた。白煙が眼に沁みる。 |
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Feb'68 筑前内野・筑前山家間 小雪舞い散る中を冷水峠へと力走するC55。 |
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Feb'69 若松機関区 磨きこまれた足回りは九州国鉄マンのプライドの表れ。機関車が大切にされていた。 |
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Feb'69 中間・筑前垣生間 スポーク動輪が透けて見える。春はまだ遠いようだ。 |
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July'67 飯塚 初めてみるボタ山がこんなに大きいとは思っていなかった。 |
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Jul'67 直方 D60とC55の重連で到着した旅客列車。写っている全ての人の姿が懐かしい。右端に写っているのはテルハ。 |
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Jul'67 直方機関区 ゆっくりと転向されるD60。いつまでも見飽きず眺めていた木曽の子供時代が懐かしい。 |
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Jul'67 直方機関区 さすが筑豊は炭鉱地帯。バケットコンベヤのついた巨大な給炭塔を初めて見て圧倒された。 |
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Feb'67 飯塚 今は亡き上山田線の旅客列車。当時は写真を撮る人も少なく、高校生の興味の対象となってしまった。 |
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Feb'69 筑豊本線 中間・筑前垣生間 早春の午後、のんびりと貨物列車を待っていたら、なんと貴重なD50が単機でやってきた。 周囲には中間の住宅地が広がり、いかにもあの頃の雰囲気が漂う。 |
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Feb'69 筑豊本線 中間・筑前垣生間 若松港から戻る空の石炭車がゆっくりと通り過ぎていく。鉄橋にさしかかるD50の化粧煙突が美しい。 |
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Feb'68 筑前内野・筑前山家間 飯塚から列車本数が急に減少する。民家の間を少ないD60重連の貨物列車が登っていく。 |
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Feb'68 筑前内野・筑前山家間 冷水峠のトンネルはまだ先だ。午後の陽ざしに北九州の残雪が煌めく。 |
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Mar'68 筑前山家・筑前内野間 D60が渾身の力を振り絞って25‰を登る。長大な貨物が延々と続いてなかなか通り過ぎなかったと記憶している。 |
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Mar'68 筑前山家・筑前内野間 D60,C55の重連旅客列車。D60の心向棒(Radius Rod)が随分下がっているのが印象的。カットオフを大きくしているようだ。 |
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Mar'68 筑前山家 当時でも少なかったD50が絶気で通過する。駅長さんに見守られ、授器のタブレットを取ればあとひと走りで終点原田。 |
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Mar'68 筑前山家 豪快に煙を噴き上げ、ドレインを盛大に切って冷水峠に向け発進するD60重連。その迫力は筆舌に尽くしがたい。 |
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Feb'69 若松 長い空の石炭車を牽いてD60の貨物列車が遠ざかっていく。小雪の舞い散る洞海湾の対岸には全盛期の八幡製鐵が白煙をたなびかせている。これが昭和40年代の北九州の光景だった。 |
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Aug'70 桂川・天道間 この夏最後の撮影をどこで行うか迷った末、ここを選んだ。この日は夜明けから珍しく靄がかかり、幸運にもC55の旅客列車と太陽を写し込むことが出来たが、駅前の万屋がこんな時間に開いている筈もなく、古くなりカビの生えかかったフランスパンを齧りながら列車を待ったことを思い出す。 |
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Aug'70 桂川・天道間 桂川構内へほぼ絶気で進入するD60とD51の重連。中央に見える場内信号機は上が色灯式電気二位式、下が電気三位式であることから、直進が本線。右分岐が篠栗線であることが分かる。この時期には、D51も投入されていた。 |
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Aug'70 桂川・天道間 九州の夏は暑い。踏切で待っていたら、素敵な日傘を差した女性が通りかかった。その前を真黒な直方機関区のD60が横切った。 |
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Aug.'70 筑豊本線 桂川・上穂波間 真夏の朝の強い日差しを浴びて通過していく207レ急行天草。、前の方に寝台車が小さく見えている。編成表によれば座席車は4両の筈で、最後のナハ10系一両は旧盆に懸かっているための増結かも知れない。先頭はDD51だが冷水峠越えに備えてD60が 後補機に付く。空調が無いため皆窓を開け、デッキで涼んでいる人も見える。いや、もしかして京都から立ち席だったのか。国鉄が重要な交通機関としての役割を担っていた時代の一コマ。 |
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Aug.'70 筑豊本線 桂川・上穂波間 早朝の靄は見事に消えて真夏の太陽光がジリジリと肌を焼く見事な快晴となった。 待つことしばしD50140の牽引する旅客列車がやってきた。 この機関車は美しい化粧煙突の残っている原型に近い貴重なD50だった。 この写真は確か35mmレンズで撮ったと思うが、ギリギリ手前まで引きつけるのに度胸が要った。 |
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